June 13, 2008

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梅田望夫氏の棋聖戦観戦記【追記】

佐藤康光棋聖・棋王に、羽生善治王将・王座が挑戦する棋聖戦。
その第1局が11日に行われ、その特別観戦記者として、IT企業経営コンサルタントとして著名な梅田望夫氏が観戦記をネット掲載しています。
この中で、
普通の人は、十代の後半くらいから、それぞれの人生を生きる忙しさの中で、遠くから将棋を眺めるようになる。でもひそかに将棋に注目し、棋士たちの活躍に、将棋界の動向にわくわくしている人は、本当に多いのだ。でもその姿がなかなか見えにくい。
と述べられている。まさにその通りだと思う。
そういう人たちも含めて「将棋ファン」のはずだから。
そんな視点からの観戦記。とても楽しく読ませていただいた。
「実は将棋には闘争心はあまり必要ないと思っているんです。戦って相手を打ち負かそうなんて気持ちは、全然必要ないんですよ」
こうした羽生二冠の言葉など、対局者の内面を垣間見ることができるのも、観戦記の楽しみ方の一つ。
別に一手一手の意味合いを知るだけではない。もちろん、そういう観戦記も違う楽しみ方ができるし、その究極とも言えるのが、梅田氏が
私はいつも、一局の「無限の広がり」を書き尽くした本の存在を夢想する。一局の対局を通して、2人の対局者が脳の中で考えたすべてを書きおろしたら、どんなものになるのだろう。
と書いているような、対局者自身が、実際の指し手の裏側に潜む、読んだすべての手について語る観戦記。
もしそんな観戦記が存在したら、それも是非とも読んでみたい。
でも、それは恐らく不可能なものだし、今は、是非とも再び観戦記を梅田氏に書いていただく機会があることを望みたい。
【参考記事】

【追記】
棋聖戦観戦記に若干の補足をしておきます。 - My Life Between Silicon Valley and Japanで紹介されているエピソードにしびれた。
対局室の中でのおそろしい緊迫感のなかで、僕が強く思ったのは、記録係の田嶋尉三段(奨励会)の立派な姿だった。
記録、秒読みの仕事を完璧にこなし、しかも一度も正座を崩さない。じっと盤面を見つめて両対局者と一緒に、考え続けていた。
それで、佐藤さんとコーヒーを飲んでいた傍らにいた田嶋くんに向かって、僕はこう言った。
「もう少し時間があったら、あなたのことを書きたかったんだけど、力尽きてしまって。でも記録係って、本当に大変な仕事ですね。」
そうしたら、田嶋くんが僕に何か返事をする前に、間髪入れず、佐藤さんが真顔でこう言った。
「修業ですから。あんなこともできないようでは、その先にプロとしてやっていくことはできませんから。プロの仕事はもっともっと大変ですから」
佐藤棋聖は、硬派の厳しい人なのだ、と改めて思ったのだった。
将棋に限らず「技」の世界はすべて、この「修行」を土台として成り立っている。
傍から見ると、ただただ単調でキツイ作業を「修行」として、やり通せるか。
「合理的」という小癪な観点から見れば、単なる「非合理的な」点も含めて、そこまでその世界に没頭できるかどうかは「技」に磨きをかけるためには「必要なこと」なんだと思う。
合理・非合理を越えた、その向こう側に「技」の世界の凄みがある。



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Posted by e_tacky at 21:31 │Comments(0)TrackBack(1)
将棋 



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先日の棋聖戦第一局、佐藤棋聖が先勝しました。 梅田望夫さんのリアルタイム観戦記、 いろいろ取り上げられていますが、素晴らしかったですねえ。 「観戦記」、というものの既成概念が変わりました。(棋聖戦だけに{/face_ase2/}) 脈々と続いてきた、観戦記というイメージ...

遠山雄亮論【即席の足跡《CURIO DAYS》】at June 15, 2008 18:41

 

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