June 03, 2010

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「誠実」であるということ〜鳩山総理辞任に思う

遂にと言うか、やっとと言うか、鳩山総理が小沢幹事長を道連れに辞任を表明した。
8カ月に及ぶ鳩山総理のドタバタ劇を見させていただいた。
意外に、個人としての鳩山由紀夫氏は嫌いではない。きっと直接会って話せば、それなりに良い人だろうと思う。
ただ、政治家として、それも一国を背負う総理としては、その任ではなかったということだろう。
およそ国民感覚とは違っていたけれど、きっと鳩山総理としては、「誠実」に対応してきたつもりに違いない。
その「誠実」であるあり方が、個人としてのそれから脱却しきれなかったのではないか。
どのような仕事においても、個人としての「誠実さ」と、職業人としての「誠実さ」には、求められるものが違う。
例えば八百屋のおじさんが、世間話として、多少いい加減な内容の政治談義をしても、それは「誠実さ」には影響しない。
しかし、ことが野菜の品質などの話になれば、いい加減な内容は「不誠実さ」に直結する。
それは、八百屋のおじさんには、売り物である野菜について「責任」が伴うからだ。
「誠実さ」は「責任」を果たすことにつながる。
普天間問題を取り上げると、鳩山総理は、個人として「沖縄にだけ負担を集中させるのはおかしい」と「誠実」に考えた。
しかし、それを総理として発言し、対処するには、個人としての「誠実さ」では足りなかった。
総理は普天間問題の当事者として、重大な責任を負っているからだ。
総理として「誠実さ」を示すには、具体的な代替地と、それを各方面に働きかけて実現する政治力が必要だったが、その見通しもないままに8カ月が過ぎた。
個人として「誠実」であろうとしたが、総理としての「誠実さ」を欠く結果となった。
普天間問題は、沖縄の問題ではなく、日本全体の安全保障の問題であることを見失っていたように思える。
これはもちろん「日本全体の安全保障のために沖縄に我慢してもらう」ということではなく、日本として、どのような安全保障体制を構築するかという全体像があってはじめて、沖縄の基地問題へのスタンスが決まるということだ。
この点が、初めから最後まで、鳩山総理からは感じられなかった。だからこそ、総理として「不誠実」に感じられたのだろう。
ともあれ、鳩山総理から次の総理へと、重要案件はそのまま受け渡される。
次の総理が、どのような「誠実さ」を見せてくれるのか。はたまた「不誠実さ」を露呈するのか。
国民として、しっかり見極めていく必要があると思う。
【参考記事】





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Posted by e_tacky at 07:48 │Comments(0)TrackBack(0)
政治・社会問題 



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